過去の旅行記【2011年ネパール編】

インドからネパール行きのバスでは色んな人がいた。

スイス人のおじいちゃん、日焼けしてるしインドって西洋人っぽい人も多いから、見た目はほぼ現地人になっちゃってるんだけど。なんとその人、1977年から旅してるっつー強者。

自分が生まれる10年前だからかれこれ34年間位か…

世界は広いね、本当に。 


その人からもらったトマトと塩ってゆうシンプルな組み合わせがインドで一番記憶に残った食事でした。

国境に着いて何事もなくネパールのスタンプとビザをもらう

ネパールは人も自然も街も何か日本と相通ずるものがあった。

ネパール側の国境から目指したのはヒマラヤ山脈を目指して入国してきたバックパッカーが集まる街、ポカラ。 

この時乗ったバスが人生で最高の経験だった。

ひたすら続く山道を屋根の上の荷台に乗って走るってゆう、たったそれだけなんだけど、景色が最高そのものだった。

10時間乗ってたけど写真とるのも忘れる位、全く飽きる事がなかったからいつか絶対また来て乗りたい。

どうか規制がかかりませんように。

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人も景色もサービスも何もかも、門一つで分かれてるとは思えない程ネパールとインドは違うんだってそのバスに乗ってすぐに感じた

ネパール人はインドに憧れがあるようだ。若者は皆インドの音楽を聞いていた

翌日バスで出会ったスペインとBARへ行った

西洋人の中でもスペイン人に異常に親近感が沸くのは俺だけかな

ちなみにネパールはつい数日前2068年新年を迎えた。


元旦でもお構いなく停電した。

昼間はいくら停電しても問題ないけどたまに夕方からずっと停電の日もある。 

ソーラー発電がある所もあるんだけど基本的には停電したらロウソクで夜を明かす。

でも慣れると不便でもないし便利な事が全てじゃないって思えてくるから不思議。 

日本はどんな所行ってもライフラインに困ることないし日本人は便利で整ってる事が一番と思ってるけど、それよりも大事なことって多いと感じる。

海外に住んだり旅するのって帰国後に不安持ちながら旅続けてる人も多いけど、日本だけにいても見えない事が見えてくるし色んな考えがあること体験出来て自分はこんな良い勉強、他にないと思うけどな。

海外経験を義務教育にすればいい

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ポカラでは時期的な問題でヒマラヤ山脈も一部しか見えなかったんだけど、それで十分。

NeverEndingPeaceAndLove

ポカラ、良かったわ。

ポカラからはまたバスで首都のカトマンズへ。

南アジアは本当どこ行っても安宿街があって困ることがない。 

絵に描いたようなヒッピーもいれば今山から降りて来たばっかって人、自分の国も人生も捨てましたって人から真面目な旅行者もいて人間観察してるだけで楽しめる。 

とりあえずこれから、カトマンズで数泊してインドとの国境を目指す

カトマンズではカフェも銭湯も日本食もあってついついノンビリしちゃいやした。

街歩きに飽きた頃、向かったナガルコットってゆう標高2000メートルちょいのエベレストが拝めるエリア。 

ローカルバスを乗り継いで行くんだけど、バスを走らせること数十分、見慣れた国旗が見えてきた。 

看板を見るとどうやら日本が援助して作った道路らしい。 やっぱ日本人だからこういうところに目がいくね。

その道路を越えて降りた名前も知らない村。オールドシティって感じがオツ。

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ここで乗り換えて着いたナガルコット。

まさかこんなアジアの小国で“とんねるず”に会えるとは夢にも思ってなかった。 

ノリタケレストランってゆう店名通りノリさんクリソツのオーナーの店。 

ここは本当にノンビリしててやる事がない。 
だけど皆早起きでコーヒー飲める所には6時半位から人が集まり始める。 

んで何するかと思えば、遊ぶ。写真のテーブルはコインみたいのを手ではじく、要はビリヤードみたいなゲームなんだけど、意外に面白い。10分は楽しめる。

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夜は早くてノリさんは9時には就寝してたけど寝れるハズもなく。 

停電で電気がつかないから寒さと戦いながら遠くに見えるカトマンズの夜景と星の光だけで朝を待つ。 

翌朝にはここから徒歩2時間の山頂で朝日に行ったんだけど、曇りでヒマラヤがほとんど見えなかった事もまた、いとをかし。 

その後カトマンズに戻り、温泉に浸かって、そしてまたインドへ。

今回はネパールの『ビールガンジ』にあるボーダーを超えてインド側のラクソールへ入国。

逝ってきます

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