疲弊した首都圏

国内

こんにちは、こんばんわ、砂肝産業デス。

皆さんは電車やバス、事務所なんかにいるときに、嫌な雰囲気だな~と感じた事ってありませんか?

ピリピリしていたり、喋っちゃいけない雰囲気を感じたり・・・。

僕は口数こそ多い方ではないですが、喋っちゃいけない雰囲気だと妙に喋りたくてウズウズしてくるんですよね。

ダメといわれるとやりたくなるみたいな感覚でしょうか。

しかも僕は、周りの空気を敏感に察知してしまう方なので、不快感を感じることがあるんですよね。

日本は協調性や秩序というものを、もの凄く大切にする社会です。

というのはつまり、団体としての幸せを追求している社会とも言えると思うんです。

団体としての幸せってなんだ?と思いますが、会社の事業で収益を確保したり、国としての地位を確立したり・・・

色々ありますよね。

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僕達の社会は、果たして幸せなのか?

会社や組織のお偉いさんなどごく一部の人にとって「団体主義」ほど良いことはないですが、

実はこれって、使われる側の多くの「個人」にとって幸せなこととは限らない。

団体主義というのは良いこともありますが、それが個人の幸せを奪っているという一面もあるんですよね。

本来人間には色んな人がいるはずなのに、社会の価値観に沿えない意見を持つ人にとって、窮屈さを感じてしまうからです。

海外へ行くと思いませんか?

みんな適当に生きてるけど、のびのびしてるな~とか・・・

自由でまとまりなんかないけど、気楽そうだな~とか・・・

貧乏だけど幸せそうだな~とか・・・

色んな人がいる社会というのは圧倒的に変な人がいたりもしますが、個人として、人が生きやすいところでもあります。

周りに合わせる必要なんかないってのは、一定期間海外生活を経験した人にとっては、当たり前の権利という認識だと思うんですが、そういう方が少数なので、なかなか改善していかないというのを個人的には感じています。

逆にですが、秩序に重きを置く日本のような社会は、団体行動では力を発揮できても、個人の意見や能力は大切にされず、皆に合わせることを求められてしまい、出鼻をくじかれてしまうことがあります。

日常生活において、この周りに合わせるという社会の雰囲気をすごく感じることがあります。

前に倣え!の世界

例えば昨年、引っ越してきて駐車場を借りました。

皆が後ろ向きに車を泊めている中、僕が前向きに止めると数日ごとに前向きに止める車が増えていき、今では全ての車が前向き駐車になりました。

娘の保育園の目の前の狭い駐車場でも、同じように前向き駐車が増えました。

これは本来は前向き駐車が便利だと思っていたのに、誰も前向きに止めていないから、自分が率先して止めれなかったという意味で、自分の意見を表現することが悪いことだと信じていた結果です。

つまり今までは、周りに合わせて後ろ向きに、「わざわざ」止めていたということですよね。

保育園でいうと今年の保育園は父親の送迎が一番多いそうです。

砂肝家は保育園送迎やイベント出席含め、僕が普段子供の面倒を見ているので、それに感化された周りの親達が影響されていると先生は言います。

その保育園に送迎するときに子供とバスに乗ると、大抵車内は満席でシーンと静まり返っています。

そこに右手で15kgの娘と、左手に重いベビーカーを持ってリュックを背負った僕が乗車しても、誰も席を譲りません。

皆が見て見ぬふりをする中、何度も子供を抱えて倒れそうになります。

これも率先して席を譲ることができない「弱さ」からきていると思います。

僕は最近、頻繁にバスに乗っています。

面白い事実が、声が大きめなおばさんなんかが車内に1人でもいると途端に席の譲り合いが始まるんですね。

きっと声を出しやすい雰囲気だと席も譲れるということじゃないでしょうか。

これは周りの雰囲気で善悪や行動を決めているということ、自分の意見を信じる強さがないということの裏付けです。

海外ではこういったことが起きない

今まで海外33か国、100都市以上を旅してきました。

子供をかかえる親に席を譲らないなんて、聞いたことありません。

もし仮に誰も席を譲ってくれなくても、バス運転手や別の乗客の誰かが、座ってる人に譲ってあげてくれと言ってお願いしてくれると思います。

子連れには誰かが席を譲っているという光景は、今まで何度も見てきました。

もちろん全員が譲ろうとしてくれるわけではないですが、必ず誰かしらは声をかけてくれます。

この前行った台湾ではそれこそ、1日5回は電車の席を譲ってもらえました。

日本人も基本的には譲りたい気持ちがあるとは思います。

でも声をかけれないんですよね。

いくら気持ちがあるといったって態度に出せないなら、それは気持ちがないのと一緒です。

車内が静かすぎて恥ずかしいという気持ちがあるのかもしれませんが、確実に譲らないほうが恥ずかしい行為ですし、その感覚がマヒしてしまっているのだと思います。

こういう社会を見ていると、残念だけど日本の未来に先はないんだなと思ってしまいます。

だって誰しも生きやすい社会が良いですし、生きにくい社会で、しかも大して稼げないのであれば、海外へ出て戻ってこない人が増えてしまうからです。

特に海外に頻繁に出かける人は収入も高く、自己成長にも熱心に取り組む傾向があるそうです。

今いる外国人も出来ることなら帰りたい、他の国へ行きたいと思ってる人も実はすごく多いですが、

そういう人たちがどんどん日本から出て行ってしまうと勿論税収も減りますし、向上心のない者ばかりが残ってしまう地方のような状態になりかねない。

だからまず、ルールとか一般論、常識なんかで語るのではなく、自分の考えを持って、それに必ず従うこと。

そこを強く意識していく必要があると思っています

首都圏は疲弊している

色々書きましたが、バスや電車の譲ってもらえない席に関しては、正直東京や横浜に限った話なのかもしれません。

地方や田舎へ行けばそもそも座れないってこともないですし、譲ってくれる人も沢山いると思っています。

だけど日本の人口の3人に1人は首都圏に住んでいるのが現状。

ハッキリ言って首都圏(特に東京、神奈川)の人間は疲れています。

働きすぎだし、働かせられすぎです。

もっと休んで睡眠をよくとったほうが良い。

もっというとそれすらさせてくれない会社は人生の無駄だからとっととやめた方が良い。

僕の住む横浜を見ている限り、確かに生活するという面では便利ではあるけれども人間的にはギスギスした人が多いなとも思っています。

若いママさんも機嫌悪そうにしていますし、何ならたまに睨まれます。

子供に対しての口の利き方も悪い。

ママさんも3人集まれば水を得た魚の様に若い男に絡んだり、保育園の先生をいじる。

1人になると急に無表情に黙って、何も言えなくなる。

席を譲らないおじさんも、子を育てる両親も、果たしてそれでいいのか?

色々疑問を感じています。


駅で倒れた女性を誰も助けない日本人・救ったのはドイツ人~困ったら率先して助けてくれるシンガポールの人々
この話を聞いた時ショックだった。数日前、知人の女性が東京の駅で気を失って倒れ、骨折した。彼女は駅にいたたくさんのすべての日本人に無視され、出張で日本に来ていたドイツ人だけが助けてくれたという。担架で運んでくれたJRの人は「ほかのお客さんの迷惑になりますから」と言い続け、薄れる意識の中この女性は謝罪を続けるしかなかったという。助けてくれたドイツ人は「あなたは悪くない。謝罪する必要はない。意識は大丈夫ですか」と傍で言い続けていたらしい。
幼児を連れたママともから似たような話を何回か聞いたことがあるが、今回のは最もショックだった。まあその場にいたら助ける日本人もいるかもしれないが、出張できたドイツ人がいなかったこの人はどうなってたんだ?駅員は倒れた女性に「ほかの乗客の迷惑ですから」って言い続ける必要があるのか?いつからこんな国になった?何が「日本が凄い」だよ!
他人を助けるのがそんなに恥ずかしいのか?助けない周りに同調するしかなかったのか?何がそんなに忙しいのか?そんなに働いているのか?明日は我が身だぞ!誰だって駅で倒れる可能性あるぞ!
駅でわざとぶつかってくるやつはたくさんいるらしいが、倒れた女性や幼児連れで苦労しているお母さんを助ける日本人は皆無だと聞く。それどころか「迷惑そうに」されるらしい。
シンガポールなら5人くらいとっさに走って助けに来るぞ!そんなシーン街角で何回も見たよ。赤ちゃん連れにタクシーの順番やエレベーター譲るし。どうかしているぞ日本。なんで倒れた女性が悪そうにしないといけないんだ。おかしいぞ。この件で日本に思い切り幻滅したわ。子供たち!こんな大人にはならないでね。大人たち心入れ替えて困っている人たちは助けようよ。


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