この記事では、僕が今までに世界中の人々と接してきて感じる『日本人が学ばなければならないこと』をまとめています。
結論から言うと、日本では人権、多様性、意見の相違、を理解していない人が大多数なことで、それが巡って自分達自身の首を締め続けているという話です。
こんにちは、砂肝産業MR.Tです。
台湾へ来て4日目、初めての更新となりました。
今回はパソコンを持ってきていないので、携帯から更新しています。
明日の深夜に帰国するので、そしたらまた毎日更新を重ねていきたいと思っています。
台湾での出来事
ということで今、この記事は台湾の有名観光地、仇分にあるとある宿のテラスで書いています。
仇分は山の斜面に広がるオールドタウンなので、子連れには少々酷です。
それでも自由で活気ある雰囲気があるところなので、歩いていても心地よいです。
そんな仇分で昨晩体験したことです。
夕食をとろうと商店街を歩いていると、日本人男性4〜5人のグループが横を通り過ぎました。
さっき #仇分にて 日本人4〜5人のグループが通りすがる女性店員を見て『お前、この女ヤれる?』と聞き、他の1人が『ヤれるかヤれないかで言ったらヤれない』と答えるという瞬間に出くわした
— Mr.T | 専業主夫でも年4回海外旅行 (@Sunagimo_Ind) January 6, 2020
仇分なんて日本語話者がそこら中にいるけど、そういうのも気にならない位、当たり前の発言なんだろう
台湾に限らずですが、多くのアジアの国、特に過去日本の占領下にあった国では日本語話者がとても多くいて、
とくに仇分という世界的に有名な観光地ですから、それはもうお店に1人以上は日本語を理解できる人がいるようなところです。
そんな仇分で、現地の女性店員の目の前で1人が『お前この子、ヤレる?』と聞き、他の子がすぐさま『ヤれるかヤれないかで言ったらヤレない』と言い放ったんですね。
その女性は理解したのかどうかまでは分かりませんが、これ有り得ないことですよね。
国によっては大問題になる可能性もあるのではないでしょうか。
人権意識がないことも問題ですが、僕が問題だと思ったのは、日本では確かに、こういう発言が割と平気で使われたりしてるよな、と思い出したことです。
最近の僕はあまり多くの友人と会うこともないので忘れていましたが、
かくいう僕も若い頃そのまま来ていたら、似たような発言をしていたかもしれません。
でも海外へ出て、外国人の友達を作ってきたことで、そういう会話がどれだけ有り得ない発言なのか、分かったんです。
確かに日本では、割とそういう発言があったりするんですよね。
僕がまだ学生の頃とかも、そういうこと言う子が結構いたように記憶しています。
でも僕はその聞き慣れた言葉に、今となってはすごく恐怖を覚えたのであります。
人権意識
日本では団体教育が前提で社会のことを学んでいきます。
でも本当に学ばなければならないのは『人権』だと思うんです。
分かりやすいのは女性軽視でしょうか。
日本の女性軽視は、年齢が上になればなるほど、深刻です。
年は取れば取るほど人が変わるのは難しくなるのでそこはもうどうしようもないと思っているのですが、根本的な教育や社会の価値観があまり変わっていないことで、若い世代へ受け継がれてしまうというのは本当に心配です。
具体的にいうと
·家事育児は女性の仕事
·女性が3歩下がって歩く
·女性なのに……だね、という発言
このあたりは意識していなくとも、日本のどこへ行っても普通に感じたり、見たりするところです。
さらに女性自身でも、結婚したらみんなより早く起きてご飯作って、全て完璧にこなし夫の帰りを待つべきだと考えている人も、結構いたりします。
僕にとっては、インドのカースト最下層以下の女性が、私は人に安い給料で使われて、差別されて、蔑まれるけどそれが普通だと思ってると聞いた時と同じ感覚です。
一方、男は結婚すると奥さんに家にいてもらって何でもやってもらうという意識が根底にある人がとても多いように感じていて、例えば『家事をしてる』という人の『やったこと』というのが、
洗濯物を回しただけ……のように極端に低い現状があると思います。
人前で奥さんや旦那を卑下するという日本では普通のことも、世界からするとひたすらに病的に映ります。
ちなみにうちの妻は理不尽だと思ったことや、日本で良い奥さんと言われるような行いは一切やりません。
日本的感覚でいうと「ダメな嫁」であると思います。
でも、掃除洗濯炊事子育て、全てをやってもらえることを頭の片隅で少し期待していたかもしれない自分にとって、
平等じゃないと言われ、何でもやってもらえなかったおかげで、気づいたことも多くありました。
多様性
結局、やっぱり多様性がないと生きにくい世界というのは事実なんですよね。
だから気軽に海外へ、しかも誰でも行けるようになった現代で多様性を受け入れないなんてのは、太平洋横断中に船に水が染み込んできてる状況の中、バケツを使わずに手で水をかきだしてるようなものだと感じます。
そもそも多様性を沢山受け入れるようになったとしても日本へ居住しに来る外国人は、現在ではそこまで多くないようにも思います。
社会になんとも言えない圧迫感がありますし、旅行では何度も来るけど住みたくはないといってる外国人の友人が、僕には何人もいます。
先程も行ったように今遊びに来ている台湾は、外国人と現地の人の壁が圧倒的に薄く、フレンドリーで寛容、自由にいさせてくれるので、すごく住みやすいと、在住の外国人から聞きました。
つい先程も台中に住んでいて台北に小旅行へきていたアメリカ人に、台湾生活は最高だと聞きました。
どんどん世界が豊かになってきている中、わざわざ生き辛い、フレンドリーでもなく、保守的で多様性のない現在の日本へ行こうとする人はなかなかいないのではないでしょう。
意見の相違
意見の相違は、例えば何か1つのテーマについて話し合うときに、意見が異なる相手を『自分のことが嫌いなんだ』と思ってしまうことが問題です。
前提に『人それぞれ意見が違う』というのがないんですね。
だから国の政策や雰囲気で、いとも簡単に自分の意見が右往左往してしまう。
これっていうのは、確かにその場はスムーズに話が終わる可能性はあるけれども、
大局で見ると権力者や声の大きな人の意見に話を合わせることになり、立場主義が蔓延ってしまいます。
立場主義というのは文字通り、『会話相手の立場によって自分の態度や言葉を変える』ようなことですが、自分の意見によって態度を変えるのではなく、相手の立場がどうあるかによって伝える中身が変わるということです。
これが結局、国内のサービス業従事者のストレスや、社内のドロドロした人間関係が悪すぎる原因でもあります。
だから僕は、日本で働くのなら、外資系企業か独立をするべきだと考えています。
人が国を変えることはできない
こういうことを言うと、日本より終わってる国、問題ある国、モラルのない国は沢山あるじゃないか!と、こういう話にもなるかと思います。
事実確かにそういうところもあるのかもしれませんが、それはあくまで『国の問題』の話であって、今回は『人の問題』の話なので、別問題とお考えください。
人は国を変えることはできませんが、人は人と繋がることで新たな気づきを得ることが可能です。
今この記事を書いている台湾現地は大変なこともあると思いますが、少なからず日本社会のようなストレスにまみれて生きてるような佇まいの人はほとんど見ることがないんですよね。
何かを提案して、それが嫌だったら断られるし、機嫌が悪ければそれもあからさまに表現するし、何かがハマれば話も弾む。
すごく『自然で健全な社会』だと思います。
台湾だけでなく、僕が今までに行ったどの国も、このような感じなので
やっぱり発育途中の子供の精神衛生環境を考えると、絶対海外がいいなぁと思うところがあります。
仮にですが、日本人が全員何かしらの外国語でコミュニケーションをとれるようになったとすると、大半がこの意見に理解を示すのではないでしょうか?
日本の良いところというのは独自のユニークな文化があること、技術力があること、治安がいいことの3つです。
これを世界と共有することで外国人に気づきを与え、逆に日本人もどんどんと海外へ出ることで、今回台湾で出くわしたような、人権を無視した発言や外国人への偏見もなくなっていきます。
そうなったら結果、日本が素晴らしく住みやすい国になるので、海外に目を向ける必要もなくなる気がします。
つまり僕が言いたいのは『世界は中和することで、より良くなる』という結論です。