他人は他人という価値観で成り立つ社会が,清潔で安全な社会よりも生きやすい理由

思想

こんにちは、砂肝産業Mr.Tです。

最近は運営していたウェブサイトをいくつか売ってしまったので、やらなければいけないタスクが減ってきており、不動産の物件情報を眺めたり、映画を見たり、海へ行ったり、遊んでばかり。

生活が維持できる程度の不労収入があると何もやらなくてもお金が入ってきてしまうので、それはそれで考えものだなと思い始めています。

だけどきっと、そんな不労収入もこの先ずっとは続かないでしょうから、安定収入のある今こそ挑戦しなければ・・・と新たなことを始めようかなと企んでいたりします。

最近構想しているのは「健康食品の開発・販売」です。

どんな商品があったら欲しいか、ぜひたくさんの人に聞いてみたいところです。

さて自分で言うのもなんですが、僕はこれまでに「普通の人」よりも多くの人生経験をしてきたほうだと思います。

海外も沢山行きましたし、国際結婚しましたし、お店もやりましたし、今はブログ運営で生計を立てていますし、投資もやっていますし・・・。

と言った感じなので、逆に多くの人にとっての普通である「会社員」というものをした経験というのが、実はほとんどありません。

周りの友人を見ると、高校卒業と同時に働き始めた人も多いですし、若くして子供を産んだ人も多いので、そういう人達を見ると自分とは随分人生が違うなぁと思ったりもします。

こういった人達って、それこそもう20年近く働いていたり、子育てやってきているんですよね・・・。

本当にすごいと思います。

そういった生活は僕には出来ないです。きっと飽きちゃうんですよね・・・。

別にお金があるわけでもありません。

貯金がほとんどなくっても、僕の場合は会社なんか後先考えずに辞めてしまうんですよ。

だって会社って勤めたら最後、人生が終わりまで見えてしまう感覚がありませんか?

僕はそれが嫌なんです・・・。

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長く続かないことは個性である

とはいえ、僕も就職しようと思ったことがないわけではないんですよ。

今だって「そろそろ就職しようかな・・・」って考える日もありますし、逆に「やっぱもう少しあがいてみよう」と思う日もあるわけです。

人間って感情があるからこそ人間らしくいられるわけで、その感情はなによりも一番大切にされるべきだと思うんですよね。

例えば、子供に英才教育をさせる親っていると思いますが僕はそれに関して、本質的には「悪いこと」だと思っているんです。

だって、子供ってやりたかったら勝手にやるし、楽しければやり続けるし、やりたくなかったら辞めるじゃないですか。

子供だけじゃなく、大人も同じだと思います。

「あ、なんかこれ好きかも」

「これ楽しいな、これなら一生できるわ・・・」

一度くらいは、そんなことを感じた事があると思います。

親が子供に何かをやらせる場合って、やっぱり結局「親の都合」で決められてしまうんですよね。

そこを僕は子供が好きなようにさせるべきであり、子ども自身が納得できるよう、楽しい人生を送ってもらうよう、好きに放置するべきだと思うんです。

「長く続かないこと」って結局「人の個性」なんですよね。

やりたくないことだから辞めてしまうわけで、やりたいことだったら長く続くのですから、

「やりたくないことを辞める」というだけの話です。

「◯◯は好きじゃない」

これこそ、人それぞれが持つ個性です。

とはいえ、少し違うところで「勉強」はまだ分かるんですよね。

やっぱり、物事を的確に判断できる能力の「脳みそ」がないと、あとでおかしな方向に行ってしまうこともあるし、好きなことを伸ばすのにも最低限の勉学は必要ではないかなと。

勉強をある程度させることは「親の愛」でもあります。

それも「程度」によりますけどね・・・。

とはいえ勉強も科目が沢山あるので、好きな科目を伸ばしてあげるだけで良いと思います。

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個性は尊重されるべき

ということで、個性は尊重されるべきというのが僕の考えなんですが、これってめちゃめちゃ当たり前のことなのですが、よくよく考えると日本では全く尊重されていない場面って多いと思います。

給食の嫌いな食べ物を無理矢理食べさせたり、トイレや水飲みの時間すら決められていたり・・・。

何でもそうだと思うのですが、結局全て「立場の強いものの感情」が操作してるんです。

思い出してみると、嫌なことと言うと仕事や勉強、宿題なんかが思い浮かびませんか?

その一方で、歩くのが好きとか、絵を書くのが好きな人もいます。

絵を書くのって、趣味ですよね。

ですが、たとえば絵を書くのが苦手な人にとってはお絵描きは「仕事」という捉え方になります。

やらされる場合は仕事となり、自分からやることは趣味になるわけです。

もう一回、

「やらされていることは、仕事になる」んです。

だから、世の中には好きなことを仕事にしている人というのが少ないんです。

好きなことをするのではなく、仕事(勉強)をしなさい!と教え込まれますから。

別に勉強がまんべんなく出来ることが素晴らしい人生でもないですし、何かが突出して得意であることが素晴らしいことでもなく、本当に大切なのって「自分が好きなように生きていけているかどうか」なんですよね。

皆さんがお仕事や学校などの日常生活を送る上で、人間関係のストレスや居心地の悪さを感じること、ありませんか?

「大人だから、しょうがない」

そう思っている方も多いかと思いますが、これはなにも大人に限った話ではなく、日本では保育園や小学校、アルバイト先やクラブ活動に至るまで、色々な場面で”ギスギスした人間関係”を感じることがあるかと思います。

このギスギス感の正体は、僕は子供の頃から刷り込まれている「強制を悪としない風潮」があると考えています。

少しづつ少しづつ色んな面で強制されながら育ってきた僕達は、自分が正しいと感じる行いならば相手を強制することも正しいことだと捉えがちです。

それにより何の権限もない赤の他人が人の生き方や振る舞いに過敏に反応し、怒りや注意を向けてしまうことになります。

僕は最近サーフィンにハマってるのですが、一緒に行ってる友人に聞くと、大したことではないのに正論やマナーを振りかざしてくる人が結構いるようです。

さっきの子供の英才教育の話ではないですが、他人をコントロールしようとしたりルールやマナーを強制しようとしたり、まずは楽しむという視点がないように思うのです。

こういう人は本人も同じようにされてきたからだと思いますが「サーフィンを楽しむためにうまくなりたい」ではなく「うまくなるために頑張らなければいけない」という価値観が基準になってる人が凄く多いと思います。

努力の強制というのかアスリート気質というのか・・・。

そして、「うまくなるためにサーフィンをしていないやつは駄目だ!」みたいな・・・。

なんというか、日本って「他人に厳しい社会」なんですね。

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清潔で安全な社会よりも他人に干渉しない社会のほうが生きやすい理由

僕は日本社会にはびこる「空気」の存在が「楽しく生きていく上で邪魔してるなぁ」と思っているのですが、これってなんでかって言うと、結局誰かに何かを「強制」してるからなんですよね。

働かない人に正論を持ち出して「働かないなんて生きる資格がない」というような言い方で、他人の行動を変えるようとする人、いますよね。

そこまでとはいわなくとも、その「何で働かないの?っていう空気」って、すごく感じると思います。

僕も主夫として子供の送迎や世話を毎日行っているわけですが、やっぱり育児は女性がするものというくらい、参観日やイベントごとは奥さんしかいません。

僕は自分が生きている人生に誇りを持っているし、誰にでも出来ることではないことを実践していて立派だとすら思っていますが、

なんというか、「現場の空気によって、他人が何を考えているかわかってしまい苦しめられる状況」が、日本にはとても多いように思うんですよね。

同質的すぎるのかもしれません。

海外って色んな種類の人間がいて、基本「空気」がそもそもないですからね。

空気というのは気付かないうちに、自然に存在しています。

周りの目が気になってきれいな服でいなきゃいけないとか、毎日化粧しなきゃいけないとか、先生に怒られるから遅刻できないとか、日本では何かを判断する時に「他人の目」を意識して、判断を決定することが多いと思いませんか?

それが当たり前になりすぎて気になっていれませんが、実はそれは「不自由」といえることです。

「生活しやすいこと」と「暮らしやすいこと」は、全然違います。

僕は日本社会が他人に干渉する価値観を廃止することで、とても暮らしやすい国になると思っているのですが、物理的なことよりも他人の価値観を変えることのほうが難しいですから、この傾向は変わらないと思うのですよね。

日本は変わりませんし、周りの人間も、これから出会う人々も決して変わることは有りません。

でもそれは逆に言うと、この社会の悪い面を一切無視して生きるということが出来れば、社会を変えずとも暮らしやすい社会になりえるということでもあります。

他人を気にせず、空気を気にせず、好き勝手生きていける人こそが、この国で最大限楽しむことのできる人だと思います。

でもそれが出来ないのなら、そういう人はきっと海外にいたほうが自由を感じて暮らしやすく思うのだと思います。

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自分のオリジナルな人生を作っていこう!

最近、2チャンネル開設者の「西村博之氏」の切り抜き動画が流行っているそうです。

僕もたまに見ているのですが、すごく論理的で間違ってないようなことを言うんですよね。

それも「◯◯は✕✕だ!」と断言されるので、見てる人も同調しやすい部分があって、人気なのでしょう。

でも正解だけを求める社会って、めっちゃ窮屈ですよね・・・。

その動画を見るたびに僕は、別に間違ってて良いじゃないか!という「おおらかさ」がなく、

「人生の生き方の答えは1つだ!」と叩き込まれているような感覚になります。

その発言が合っているか、間違っているか、っていう話ではないんですよね。

人間って結局、生まれて死ぬだけの生き物で別にそこに意味はないし、人の生死に価値もないです。

意味や価値なんてのは、国や社会が勝手に作り出した「幻想」です。

でもそう言うと、人生においての「希望」がなくなる。

だからあえて貴方の人生に価値をつけるとしたら、それは「貴方自信がどう思っているか」

その一点。

雰囲気に飲まれて、周りに流されてしまうと、本質を見誤ります。

金がなくたって良いんです、どうせ死ぬまで働くのですから・・・。

でも、お金をたくさん稼いだって良いのです。

人生、何だって良いのです。

「自分が楽しんで満足しているのなら」

平日の昼間から、そんなことを考えておりました。

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