こんにちは、砂肝産業デス。
のっけから卑猥なタイトルですいません。
最近は子育てや別のブログの更新、ブログから受注した別のお仕事で忙しいので、
今日は軽めに記事をまとめたいと思います。
ボランティア=マスターベーション
皆さんはボランティアって、どう思いますか?
人手のない年寄り農家の手伝いをする・・・
カンボジアで行う井戸掘り・・・
職に困ってる人の為に炊き出しを支援・・・
カンボジアで学校を建設・・・
なんでもいいのですが、とにかく「無料で誰かに奉仕する」ってのが、僕なりのボランティアに対するイメージです。
だけど思うんですよね。
こういうのって、本当にその人たちのことを考えてやっているのでしょうか?
ボランティアって大前提として、【今現在、困ってる人を助ける】というのがあると思います。
既に困っているからこそ、手っ取り早く助けてあげたいと思うのは分かりますが、それだと根本的な解決にはなりません。
震災で困ってるから「水や食料を持って行く」のではなく、「必要なら水や食料を渡すけど、同時に新たな提案を持っていく」であるべきで。
カンボジアに学校を作ることが大事なのではなく、カンボジアの「貧乏な家庭の子供に勉強を学び続けてもらう環境を作る」ことが大切なわけです。
だから困ってる人をただ助けてみるだけでは駄目で、もっと長期的・戦略的に手を差し伸べるべきだと思うのですが、
現実に一般の多くの人が行ってるボランティアが、そこを疎かにしてしまっている人が多く、
それで自己満足に浸っている人を見ると、吐き気を催します。
「困ってる人のことを考えてる自分に酔ってるだけ」では駄目なんですよね。
しかもそういうのって、助けられる側の当事者には「不信感」を感じさせてしまいます。
本当に手助けしたいのであれば、問題を解決に近づけるために本質的に何が必要なのか、今の自分がどう協力し続けてあげられるのかを考えるべきですが、
そんなことは第一に考えておらず、多くの人がやっているのは「自分が良い人だと思い込めるから」という理由で、ただの独りよがりになっている場合も多いのではないでしょうか。
そんなことを考えていくと最終的には、こう思ったりします。
ボランティアとマスターベーションは同義語である
そう、ボランティアとマスターベーション。
つまり、ボランティアはオナニーである!という意味で理解してもらって構いません。
この言葉を聞いて皆さん、どうお考えですか?
ボランティアって、先ほど書いたように「自分が気持ちよくなりたいから行っている」場合が多く、
そう言った意味において、ボランティアというのはオナニーと同じだと言ってるんです。
人生が他人や社会の為にあると思っている方、かなりたくさんいらっしゃると思いますが、こういった人たちの意見は大抵の場合、間違っています。
例えばあなたが今、人生の充実をすごく感じている中、自分が嫌いなAさんと2人で岐路に立たされ、
・自分の足が一本なくなるか
・Aさんの足が一本なくなるか
絶対にどちらか選べと言われたら?
きっとあなたはAさんの足が無くなるほうを選ぶでしょう。
当然です。普通です。そして、当たり前です。
他人のための人生をうたうなら、好きとか嫌いの感情で選ぶのは、おかしいですよね。
だから、自分の人生は必ず、自分の為にあると断言してもいいわけです。
このような流れから、「本当は自分の幸せ」を願っているにもかかわらず、自分の人生は他人の為にあと嘘をつくのは、絶対にやめたほうがいいよ、というのが今回の話なんです。
人生が自分の為だと公言するのが必要な理由
自分の人生を他人の為に使おうよ!
なんかすごく耳障りが良いといいですが、上で考えたような視点で見てみると、気持ち悪いくらい「偽善的」に見えてきませんか?
自分勝手にしないで、人の為に生きる・・・
たしかに姿勢としては低評価できない位に素晴らしいものでもありますが、この考えでずっとやっていこうと思うと、理想と現実とのギャップに心がやられてしまう人が出てきます。
そもそも自分の人生というのは間違いなく、自分の為だけにあります。
何故、心がやられてしまうかというと「自分の人生は他者の為だ」と自分に嘘をつくことで、無意識に自分自身を信じられなくなっていくからなんですよね。
それだけじゃなく、他の人も自分と同じように嘘をついているんだ、他人も自分と同じ考えの嘘つきだと、他人をも信じられなくなっていきます。
それだけじゃなく、人生を自己中心的に生きてる人を見ると、ストレスが貯まるようになっていきます。
日本では基本的に「One for All」(=1人はみんなの為)、的な考えが強いと思います。
他人のためにと嘘をついた、その一瞬は自分を満足させられるかもしれませんが、
ただそもそも、気持ちよくなるのは一瞬でいいのでしょうか?
人生とは本来、ずーっと、気持ちの良い生活を続けられるものなんですよね。
僕は海外を旅していた時に、人が日々生きて暮らすということは何て気持ちの良いものなんだろうと感じながら日々を過ごしていましたし、
海外で知り合う人の大半とその考えを共有できているような感覚を得ていましたが、
日本に帰ってきて数年たったところで、「辛いこともあるのが人生だ」と思ってる人がすごく多く、それだけでなく、その感覚を他人と共有しようとしているというところに気付き、疑問を感じるようになりました。
だから日本には「人間不信」な人が多いのだと、当時考えました。
個人的な考えですが、僕が実際に海外で体験してきたように「人生とは、永遠のオナニー状態」であるべきだと思っています。
困っている人のためと言いながら始めるボランティアも、結局は自分の為。
自分の手助けによって誰かが喜ぶ姿を想像していても、実は本当の目的は「ただ自分が喜びたい」だけ。
自分を良い人だと信じることで、気持ちよくなりたい。
「ありがとう」というオカズを提供してもらうために、ボランティアに参加する。
つまりは「Just like オナニー」
人生は自分の為である。
こう理解して、実践したところから、素晴らしい人生は始まるというものです。
今、人生に何かしらの不足を感じている方は、持続可能な幸せを、自分に正直になることで掴んでいくことをお勧めします。
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