鹿児島の学童保育【太陽の子児童クラブ】の虐待動画がヤバすぎる!全職員が同調圧力に屈する様子を公開

思想

こんにちは、砂肝産業です。

日本にいると、普段はそんなにストレスを抱え込むことはなくても、ネットの心無い書き込みなどを見てストレスを溜め込むという人も多いと思います。

日本では風習的に、人前で意見を言ったり相手を否定したりといったことが好まれませんから、表には出てこない分、ネットに現れているのだと思います。

でもネットもリアルも思ったより変わらないなと、僕が思ってしまうニュースがあります。

それを今回は、子供の人権という視点で考えてみたいと思います。

ところで皆さんは、お子さんをお持ちですか?

実はいま、鹿児島にある太陽の子児童クラブという施設の、とある光景が悪い意味で話題になっているんですね。

この児童クラブはいわゆる学童保育であり、小学生から高校生までが通う施設です。

そんな学童保育で何が起こっているかというと、虐待です。

一度あったら何度もあるのが虐待やDVなので、虐待する人は何度でもやります。

この施設に通わせてる親御さんは、自分の子供も同じことをされてきたんじゃないかと、不安でしょうね。

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太陽の子児童クラブが児童虐待で炎上中【閲覧注意】

まずはこちらのTWITTER動画を御覧ください。

普通に恐ろしい光景なので、閲覧注意としておきます。

見なかった方のために補足すると、これは、とある生徒が学童保育に入って、初めての自己紹介を無理強い・・・・させられている様子を撮影した動画です。

女性の先生が「早く言いなさいよ!」的な口調で、女の子を執拗にいたぶっています。

実はこの施設は「ヨコミネ式」と呼ばれるスパルタ教育法を実践しているそうで、何を隠そうこの女性職員はヨコミネ式の生みの親である横峯吉文氏の孫だというところまで判明しています。

ちなみに、この「ヨコミネ式」を取り入れている保育園では、卒園までに全員が逆立ちで歩いたり、はたまた小学校入学前に漢字が読み書きできるようになるという、いわゆるスーパー園児を輩出する保育園として知られているということです。

子供は柔軟で吸収が早いので、イジメ抜けば何でも出来るようになる、ということですね。

まぁ、そういうやり方で無理矢理教え込むことに、果たしてなんの意味があるのか僕には分かりませんし、分かりたくもないのですが、

この施設の子供に人権などないということだけは、この動画を見ていて分かることですね。

太陽の子児童刑務所

まぁ普通の教育施設であれば、とくに今の時代はなかなかない光景かと思いますが、

ちなみに、これを見た皆さんはどう思いますか?

聞くまでもないのですが、「ありえない!!」ですよね。

「悲しい」通り越して「苦しい」と思う方も多くいるのではないでしょうか。

もし自分の子が同じことをさせられたら、、、

そう思うと、人間不信になるようなレベルのものです。

当然、僕も同じように感じましたし、同じような年頃の子供がいるので

心中は穏やかではありません。

だけど僕はこれを見て、程度の差こそあれ「日本社会の縮図だ」と感じたんですよね。

それを今から簡単に考えてみたいと思います。

僕がこれを日本社会の縮図だと感じる理由

僕は今までに世界40カ国ほど訪れていて、

沢山の人と触れ合ってきましたし、助けられ、様々な価値観を受け入れてきました。

国という括りはそれぞれ良さもあり至らない点もありなので、

海外って一括には出来ないのはもちろん分かってはいるつもりなのですが、

僕が今までにいった40カ国に関して言うと、

海外の国々は総じて、日本と比較すると色々な面が「緩い」んですよね。

物事は表裏一体なのでそこに良い面も悪い面もあるのですが、

こと「人付き合い」に関して言うと、僕は海外の人とコミュニケーションをとるほうがストレスフリーで、

より本質的な話がしやすいと思っています。

こういった意見は他の日本人からもよく聞きますので、

海外経験の多い方は同じように感じている人も多いのではないかと思います。

とはいえ、海外は比較するとルール的なところも緩いので、だからこそ理不尽に感じてしまう部分もあるのですが

それにより僕は現地の小学校や保育施設などに顔を出す機会が何度もありましたし、

言葉が通じないながらも、

何とか意思疎通をしようとするという体験を出来たと行っても過言ではありません。

日本だったらどこの馬の骨かも分からない外国人を学校に招き入れるなんて、絶対ありえないでしょう。

それらの経験から感じるに、海外の人々は日本人と比較して「おおらか」であるように思います。

おおらかだから、これを言うと周りの他人がどう思うかというのを気にしないし、

時に「頑固」だと思わされながらも、自分の価値観を真正面から伝えられる。

それによって、自分の意見を伝えられる社会の雰囲気・・・が出来上がっている、

そんなふうに思います。

日本にもいいところはたくさんありますが、

こと、人権に関しての意識はとても低いのではないでしょうか。

先程海外は緩いと言いましたが、言い換えると日本は逆に「人に厳しい」です。

思い出してみてほしいのですが、

子供の頃「厳しくするのが躾」とか

「そのくらいのこと我慢しなさい」とか

「箸の持ち方を正しく」とか・・・、

そんなようなこと、言われませんでしたか?

おとなになっても「会社が嫌でも3年は我慢しなさい」とか

「みんな辛い思いしてるから」とか、普通に言いますよね。

楽しくやっていたら「リア充」と呼ばれ、

頑張ってる人を「意識高い系」と呼び、

なんかこう、ネガティブネガティブに物事を捉える癖があるように思います。

海外の子育てや人間関係って、あんまりそういうこと言わないというか、

そもそも、そういう価値観が存在しないんですよね。

「みんな辛い思いしてる」→「だからって私も辛い思いしなきゃいけないの?」

「箸の持ち方を正しく」→「私はこれで食べたいんだから、いいじゃん」

こんな調子で、子供にも大人にも自分にも選択する権利があるというのを、

各個人が理解している印象です。

特にアメリカなど一部の国では、人前で子供を叱ったら虐待として通報されるって言いますし、

カナダなど比較的豊かで、先進的と捉えられている国でも

小学生を一人でいさせてはいけないという法律もありますから、

やっぱり日本って子供に対する扱いが、本質的には「雑」だと思うんです。

なんで国語・算数・理科・社会・体育、全部できなきゃいけないの?

運動苦手で嫌いなのに、なんで辛い思いしてやらなきゃいけないの?

学生時代にそう思ったことのある大人もいるのではないでしょうか。

そんなバックグラウンドを意識しながら再度この動画を見てみると、

この動画の怖いところの本質が見えてくるんです。

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太陽の子児童クラブ問題の怖さの本質

先生と呼ばれる立場にある女性が、入所したばかりの子に皆の前で高圧的に命令する、

これだけでも、まぁあり得ない光景ですよね。

普通に虐待ですし、この一件できっとこの子は一生、人前で話すのが苦手になるでしょう。

そしてこの体験をトラウマとして引きずって生きていくことになります。

それくらい罪深いことをこの女性はしていますし、最低な行為です。

でも僕がありえないって思った本質は実はそこではなく、

何がありえないかというと「周りにこれだけ沢山の人がいて、誰も何も言えないところ」

つまりこの場にいる全員が「同調圧力に屈しているところ」なんですよね。

人間ですから良い人間も悪い人間も、それはどこの国にもいますし、

これははっきり言って、解決される問題ではないです。

いろんな環境で育つ人がいる以上、生きていくうちに性格が捻くれてしまうのも当然で

その性格は一朝一夕で変えられるものではないので、

普段は隠していても、こういうときには出てきてしまうんです。

悪い人は悪い、それは治らない。

だからもうこの女性に関しては正直どうでもいいのですが

この問題の怖さの本質は、周りの人間にあるところです。

今、この動画はTWITTER上で拡散されて炎上していて、

Googleの施設名も「太陽の子児童虐待クラブ」に変更されています。

ネット上ではこんなにいとも簡単に燃え盛る、

いわゆる「誰が見ても分かる間違い」が起こってる状況なのにもかかわらず、

部屋にいる他の子はおろか、その場で見ている先生方までも、

誰一人として発言中の女性を否定しないことが、ゾッとする部分なんですよね。

しかもまた恐ろしいことに、周りからクスクス笑い声が聞こえてくる始末・・・

多分ですね、この笑ってる声の主は後々「あぁ、あのとき笑って悪かったな」と思うかもしれない。

何故かというと、この主は周りに同調しているだけの可能性があるからです。

この笑った人も家で一人でいるときには優しい心の持ち主なのかもしれない。

だけど同調圧力に弱い僕ら日本人は、こういうときにふと

「先生が怒ってるのは正しい」と真面目に勘違いしてしまうことがあるんです。

僕の経験から言うと、海外だったらこういう状況って、まず起こらないです。

他の先生からすぐに「それはおかしい」という声が上がりますし、

生徒ですら先生に声を上げるのは間違いありません。

いや、厳密に言うと人権を完全に無視した社会というのも、一部の国ではあることにはありました。

ですが、そういった国はいわゆる世界最貧国、のような水準のところである場合が多く、

すでに発展が一段落した日本と、単純に比較はできないんですよね。

そもそも日本の教育現場では、生徒は先生の言うことは聞くという教育方法なので、

生徒から声が上がらないのは当然っちゃ当然で、そこは生徒を責めるわけにはいきません。

でも、大人なら言うべきところでは例え言いたくなくとも、

意識的に声を上げるべきなのではないでしょうか?

他の国では当たり前のように行われるはずの他人の間違いを否定してあげる行為が、

なぜ日本のリアルでは起こらないのでしょうか。

これを僕は【声が大きい存在に巻かれる姿勢】が、

今までの教育によって培われてしまっているからだと考えました。

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解決策はあるのか?

まぁ、この保育施設は時間の問題で閉鎖となるのかもしれませんが、

今後こういった問題は解決されていくのでしょうか。

今はSNSが人間の生の声よりも発達しているので、こういった事例は注目を得やすく、

メディアも視聴率獲得のために好んで記事を書いてくると思いますので、

そういった面では、抑止力としては強い力を発揮しており、

より良い社会に近づけていけるのかなとは思います。

ですが、リアルではいえないのにSNSでは自分の正義を貫けるというのは

やっぱり、それはそれで不健全なのかなと思います。

この当事者である女の子(生徒)だって、誰か一人でも声を上げてくれる人がこの場にいたなら、

多少は救われていたかもしれない。

今後辛いことがあったときに「助けてくれる味方がいる」と思えるようになっていたかもしれない。

そういった意味でも、

この現場にいた全員、この女性指導者を止めることをしなかった全員が加害者ですよね。

全員、女の子に「助けてあげられなくてごめんなさい」と、謝ったほうが良い。

僕が感じるに、日本の人権問題というのは表向きはしっかりやっているように見えるのですが、

蓋を開けるとその本質は「見えないようにしている」という一言に尽きてしまうと思います。

こういった問題が起きないようにするには、

やはり事が起こったときに、周りの人間が「No!」と言えるか否かにかかっています。

僕個人的には、

この社会が「仕事、仕事!」「ルール、ルール!」「マナー、マナー!」「礼儀、礼儀!」

・・・のようにただ口うるさいだけの社会ではなく

「ルール守れないときもあるよね!」「礼儀なんて欠けるもんだよね!」

「それよりもそういった押しつけこそ人権侵害なんじゃないの?」というような、

おおらかで余裕のある社会になると良いなと思ってます。

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